日本橋 ホテルが帰ってきました
流通網が完全にできあがったなかでのメーカーの新しい動きとしては、珍しいケースである。
スタート当時は、既存チャネルや卸の機能をもつ販社からかなり強い反発を受けての新規展開であった。
しかしながら、100店舗展開ができたことは、消費者にとってはもちろんタイヤ業界にとっても新しい地位を確立できたことを示している。
当時、このことで私はある業界誌の編集長からインタビューを受けた。
その編集長は業界紙のなかで「C成長の要因を考える」と題して次のようなコメントを発表している。
先人の諺に「石の上にも3年」というのがある。
この業態開発を始めるきっかけとなったのは、Bの中核チャネルであるタイヤ専門店のロイヤリティが低下したこと、ディスカウントを武器にした量販店の出現によってメーカーの相対的地位が低下してきたことに起因している。
すなわち、家電業界をはじめあらゆる業界で始まっている流通変化と同じものが、タイヤ業界にも押し寄せてきていたのである。
不思議なことであるが、このような状況に気づく人は多いが、解決策を見いだし具体的に体を張って実行しようとする人は少ない。
入社以来、10年ちかく現場を回った私は「今のままではダメだ」という危機意識と「自分がやらないで誰がやるんだ」という一途さが、この活動を起こさせたのだと思う。
どこかの政治家ではないが、「あまり暴れると、池の外に飛び出した鯉になる」という先輩諸氏からの忠告を何度も受けた。
しかし、「やむにやまれぬ情熱」がこの忠告を無視したと言えよう。
いま冷静に考えてみると、若さと性格的なひたむきさもさることながら、Bの「やる気のある社員が思うことは十分に実行させる」という社風、そして経営トップの「思い切って若手に任せ責任は自分がとる」という決断が、この情熱を持続させてくれたように思う。
いずれにしても「石の上にも3年」、諦めてしまうと物事は成就しない。
1988年から1994年にかけての期間は、B流通戦略の第2次創業期だと言える。
この6年間は、Oなどの量販チェーンが全国展開を推進し徐々に力をつけ始めた時期だ。
タイヤ業界に限らず、力をもった流通業が出現すると既存の販売店の弱体化が始まる。
Bの場合も7500店の専門店の売上実績が低迷し、シェアダウンが進行した。
1988年当時、Cもほぼ200店舗まで増加したが、市場に大きな影響を及ぼすほどの力はなかった。
Cの展開は、当時、市場へのショック療法としての意義はかなりあったものの、専門店の弱体化をリカバーするまでには至っていないのが実情だったのである。
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